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方丈記
掲載 二〇二六年七月十六日
行く川のながれは絶えずして、しかも
本の水にあらず。よどみに浮ぶうたか
たは、かつ消えかつ結びて久しくとゞ
まることなし。世の中にある人とすみ
かと、またかくの如し。玉しきの都の
中にむねをならべいらかをあらそへる
たかきいやしき人のすまひは、代々を
經て盡きせぬものなれど、これをまこ
とかと尋ぬれば、昔ありし家はまれな
り。或はこぞ破れ(やけイ)てことし
は造り、あるは大家ほろびて小家とな
る。住む人もこれにおなじ。所もかは
らず、人も多かれど、いにしへ見し人
は、二三十人が中に、わづかにひとり
ふたりなり。あしたに死し、ゆふべに
生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たり
ける。知らず、生れ死ぬる人、いづか
たより來りて、いづかたへか去る。又
知らず、かりのやどり、誰が爲に心を
惱まし、何によりてか目をよろこばし
むる。そのあるじとすみかと、無常を
あらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露に
ことならず。或は露おちて花のこれり
のこるといへども朝日に枯れぬ。或は
花はしぼみて、露なほ消えず。消えず
といへども、ゆふべを待つことなし。
およそ物の心を知れりしよりこのかた
四十あまりの春秋をおくれる間に、世
のふしぎを見ることやゝたびたびにな
りぬ。いにし安元三年四月廿八日かと
よ、風烈しく吹きてしづかならざりし
夜、戌の時ばかり、都のたつみより火
出で來りていぬゐに至る。はてには朱
雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで
移りて、ひとよがほどに、塵灰となり
にき。火本は樋口富の小路とかや、病
人を宿せるかりやより出で來けるとな
む。吹きまよふ風にとかく移り行くほ
どに、扇をひろげたるが如くすゑひろ
になりぬ。遠き家は煙にむせび、近き
あたりはひたすらほのほを地に吹きつ
けたり。空には灰を吹きたてたれば、
火の光に映じてあまねくくれなゐなる
中に、風に堪へず吹き切られたるほの
ほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ
移り行く。その中の人うつゝ(しイ)
心ならむや。あるひは煙にむせびてた
ふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまち
に死しぬ。或は又わづかに身一つから
くして遁れたれども、資財を取り出づ
るに及ばず。七珍萬寳、さながら灰燼
となりにき。そのつひえいくそばくぞ
このたび公卿の家十六燒けたり。まし
てその外は數を知らず。すべて都のう
ち、三分が二(一イ)に及べりとぞ。
男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ
邊際を知らず。人のいとなみみなおろ
かなる中に、さしも危き京中の家を作
るとて寶をつひやし心をなやますこと
は、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。
また治承四年卯月廿九日のころ、中の
御門京極のほどより、大なるつじかぜ
起りて、六條わたりまで、いかめしく
吹きけること侍りき。三四町をかけて
吹きまくるに、その中にこもれる家ど
も、大なるもちひさきも、一つとして
やぶれざるはなし。さながらひらにた
ふれたるもあり。けたはしらばかり殘
れるもあり。又門の上を吹き放ちて、
四五町がほど(ほかイ)に置き、又垣
を吹き拂ひて、隣と一つになせり。い
はむや家の内のたから、數をつくして
空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、
冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵
を煙のごとく吹き立てたれば、すべて
目も見えず。おびたゞしくなりとよむ
音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の
業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる
家の損亡するのみならず、これをとり
繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづ
けるもの數を知らず。この風ひつじさ
るのかたに移り行きて、多くの人のな
げきをなせり。つじかぜはつねに吹く
ものなれど、かゝることやはある。たゞ
ごとにあらず。さるべき物のさとしか
なとぞ疑ひ侍りし。』